2020.03.01承前【園長のひとり言】
2月の続き。幼児期の保育で大切にしている個別性。それはズバリ遊びです。コレもいつもお伝えしていることですね(笑)
それでも、この時期の想像力やルールを伴った遊び、それら興味関心を充分に満たすことは子どもたちの将来に大きな影響を与えると言われていますので繰り返しになりますが説明していきます。つまり、幼児教育についてのお話です。
一方、乳児期に大切にしていた生理的な欲求の個体差は、3歳を超えたあたりから、その差がある程度縮まってくるので個別の対応よりも一定の集団のなかで例えば規則正しい生活習慣を身に着けることの方が大切となります。
さて、話を戻して幼児教育という名の子どもたちの遊びについて、です。ただ遊びという言葉を聞くと何となく自分がしたいことをしているだけ、というイメージが強いかもしれません。確かに、そういった側面はあります。大人の世界で遊びという言葉を使う場合には、ね。
でも子どもの遊びは大人のソレと違って、遊びのなかで自身を育てていく為、その豊かさが育ちの豊かさだともいえるのです。特に大切な育ちは主体性とか能動性とか、自分で考えて行動できる力。そして、それは同時に他者の主体性を受け入れることを意味しています。
が、しかし感情の分化や言語の獲得、仲間関係の深まりは、子どもたちの興味関心をどんどん多様化させていきます。しかも、そこで待っているのは乳児期よりも遥かに厳しい人的配置。具体的に言えば3歳児は15人に対して1人、4歳児、5歳児では30人に対して1人の割合で保育しなければならないのです。
20人とか30人とかの幼児の集団。そのなかで、それぞれの「やりたい」とか「やってみたい」という興味を満たすことが、どれほど難しいかというのは子育てに奮闘されている皆さまなら分かるはずです。
その保育の結晶と子どもたちの育ちが、先日の音楽会で垣間見られたかもしれません。特に5歳の歌や表現は、それを象徴していました。少なくとも私には、それがはっきりと見えました。
でも、ね。繰り返しになりますが、それは簡単なことではありません。たくさんの気持ちを一つにして皆の「やりたい」をつくるには、たくさんの時間と根気、そして情熱が求められます。それは言い換えるなら、子どもたちが大好きだってこと。だから、頑張れる。
今、この瞬間に、その気持ちが誰よりも強い保育者がいるとすれば、きっと少し遠い街からココに通う彼女です。
間もなく訪れる5年の節目。彼女と子どもたちが一緒に過ごした毎日が、もう少しで終わりを迎えようとしています。期待と寂しさが、ごちゃ混ぜになって立つ感情の交差点で、彼女は何を思うのだろうか。その答えは、彼女にしか分からないけれど、きっと大変だったこれまでを思い返すより、子どもたちへの感謝でいっぱいになるかもしれない。私が、ここにいる意味をはっきりと教えてくれたのは目の前の27人の子どもたちなのだから。