2008.10.01ポニョの宿題【園長のひとり言】
涼しい風が秋の訪れをつげます。スポーツ、食欲、読書、芸術と色々なことに意欲的になれそうな季節ですが、これといって打ち込めそうなものがないので映画にでも行こうかと思っています。2年前小説ではまった東野圭吾原作「容疑者Xの献身」を見て、天才物理学者湯川先生と一緒に、その謎を愛します。
ところで、映画といえば夏に大ヒットした「崖の上のポニョ」。実は、あまり気乗りしなかったのですが流行に乗り遅れないように見てしまいました。おかげで、「ポニョ ポニョ ポニョ 魚の子♪」がしばらく耳にこびりついて離れません。
それはさておき、映像に込められたメッセージの奥深さは、さすが宮崎駿監督。思わず「うーん」と唸ってしまいました。物語全体を通して描かれている陸(崖)と海、ヒトとポニョ(それ以外の生物)、保育園(子ども)とお年寄りの施設(お年寄り)、現在と過去(古代魚)、父性と母性など反対の意味のものが次々に合わさっていく(対立しているものが、互いに浸透していく)さまは、ものごとを本質的にとらえることの大切さを教えられた気がします。ちょっと分かり難いですよね。つまり陸は陸、海は海ですが、現実の世界でもちょっと見かたを変えると、もしかしたら今は陸地だけれど洪水がきたら海になるかもしれません。もっと言えば遥か昔は海だったに違いなく、遠い未来には海になるかもしれません。今、海であるところが陸になることだってありえます。もちろん、陸は陸、海は海のように、ものごとを固定したものとして見ることは、日常的(常識的)には正しいことです。しかし、それだけにとらわれてしまうと、ものごとの本性を見失ってしまいます。ものごとの分け隔ては、絶対的なものではなく、一時的、相対的なものであって、ある条件のもとではお互いに移り変わるのです。それらをそのつながりのなかで見ることで、より深い理解への道がひらかれていきます。育児や保育も同じです。子どもを子どもとしてだけ見ているだけでは、一面的な見かたでしかありません。子どもは、確かに今は子どもですが、いずれ大人(親)になります。そのつながりのなかで子どもに寄り添ってこそ、本当(ありのまま)の子どもの姿が見えるのです。