2022.03.01大人になるということ【園長のひとり言】
大人になるということ。それは意外と難しい。もちろん二十歳になったら、とか学校を卒業し就職など法律や環境の変化で大人だと表現はできます。ただ、お酒が飲めるようになったりお給料をもらうようになったりで、それを実感した人は多くないと思います。
では、精神的に子どもと大人の分水嶺はどこにあるのでしょうか。それは、もしかしたら子ども時代のある特性が薄まってきたころ無自覚のうちにおとずれるのかもしれません。
その特性とは、自己中心性です。言い換えれば、自分のために生きるということ。その結果として自己の理解(自我)やアイデンティティーを確立していきます。あ、自己中心性はわがままとか利己的のような自分に周りを合わせようとすることではなく、社会や世界をみる視点やものごとの判断基準が自分だってことです。
例えば、幼児期の子どものほとんどの行動は自分の興味や関心に縛られています。学校にいっても同じ。学生時代の勉強に関する得意不得意は能力や資質よりも興味関心の度合いに比例しているのだと思います。
それらのデキはさておき注目すべきは、それらの時期の学業のほとんどが自分自身のためだということ。あの高校や大学に入学したいとか将来、こんな職業につきたいとか、ね。
つまり、多くの人にとって精神的に大人になるのは学校を卒業してからということになります。ただ、その後すぐに大人になれるかといえば個人差があるので、一概には言えません。が、家族の生活を支えたり、仕事を通して社会に貢献したり、自分だけでなく他者のために生きられるようになると無自覚のうちに大人へと成長していくはずです。
その意味において保育者は子どものための社会的役割を担うことで大人になっていきます。そしてココで保育者人生をスタートし、4年目を迎えた彼女も子どものために生きることで大人への階段を登りはじめた一人です。
大学時代、成績優秀だった彼女。けれど教科書通りにはいかない日々に悩むことが多かったと思います。特に、この3年間は多様な感性や気質の幼児を同時に保育することの難しさを感じていました。また、感染症のパンデミックでナウシカの世界の様に、いつもマスクしたままでのコミュニケーションとあれはダメ、これもだめといった行動制限。3密回避とか簡単に言うけれど、保育の世界では容易なことではありません。
そのなかで必死になって考える。どうしたら幼児期のかけがえのない体験を失わずに済むのかを。コロナ禍での保育ノウハウなど、どこにもない。それでも彼女の心を前向きにしたもの。それは先輩や同僚の支え、チームで保育したことが彼女に勇気を与えてくれました。
そして迎える巣立ちの日。3年ずっと一緒だった日々と数々の思い出が今を輝かせるけれど、同時に寂しさが彼女を襲ってきます。
それらの複雑な感情が交差するその刹那。きっと彼女は自身に問いかけます。自分は立派な大人になれたのだろうかと。君たちのために、ちゃんと生きられただろうか、と。その答えは間違いなく「はなまる」。キラキラした27の瞳が、それを物語っています。