2024.05.01Our philosophy 2【園長のひとり言】
先月、個別性の高い保育で将来、他者のために生きられる力を育みたいというお話しました。
高めたい個別性とは生活と遊びに関するものであり、前者は特に生理的な発達が未成熟で個人差の大きな乳児期には社会的背景も相まって欠くことのできない配慮だと説明させて頂きました。
で、その続き。遊びの個別性を高めることについてお伝えしていきます。まず遊びの個別性を高めなければならない背景から。もともと乳幼児期の遊びの重要性は保育所保育指針や教育・保育要領で示されており、その真意は明らか。子どもは遊びを通して発達していく、とね。
だから改めてということにはなるのですが、その重要度は現代社会において、よりいっそう高まっています。
なぜなら新たな科学に関する知識が爆発的に増大したことで予測不可能な社会が到来したから。、世界では物質的な(生活の)豊かさが増していく一方で不安定で、不確実で、複雑で、曖昧が急速に進展し始めていると言われています。
例えばスマホさえあれば、お財布を持たずに買い物や外食に行く時代を10年前に想像できたでしょうか。最近、話題のチャットGPTが代表するような生成AI技術は大きく生産性を高め、2月にデビューした画像生成モデルSORAはテキストを入力するだけで高品質の動画を生成してくれます。これまで数週間かかった作業をわずか数時間で終えてしまう人工知能。これらがもたらす未来とは…私には全く想像つきません。
かつて教育現場が求めてきた知識の量とその正確なアウトプット。でもGoogleの登場でその価値は薄れています。おそらく生成AI技術は、さらに希薄化していくでしょう。もはや百科事典を子どもに買い与えても意味がありません。
大切なのは量でなく質。そう。知識の質、つまり獲た知識をどの様に、使うのか。誰の為に使うかという数値では測れない要素が重要となっているのです。
そして、その基礎となるのが非認知能力とか社会情動的スキルと言われるもの。それは例えば「精神的健康」や「根気強さ」、「注意深さ」、「意欲」、「自信」など目に見えない力を指すのですが、これらは読み書きソロバンのような時代遅れの早期教育では育ちません。
その能力を育てるものこそが遊びであり、大人からやらされるのではなく自分の意志で手を伸ばし、仲間に触れ一緒になって多様な経験をするなかでゆっくりと身についていくのです。
さらに言えば、と続けたいところですが今月も余白が足りなくなってしまいましたので次回へ持ち越させてください。