2011.03.04桜咲く夢見月の贈りもの【園長のひとり言】
彼女が勇気ということばの意味を知ったのはいつの頃だろう。少なくともそれは、10歳を過ぎて、目に見えないものやその存在に少しずつ気付き始めてから。この透明で、前向きな強い気持ちは、さまざまな困難から自分を救ってくれるけれど、その分大きなエネルギーが必要だから、ときどき振りしぼる前に逃げ出してしまいたくなる。でも、振り返ってみると、懸命に保育するその姿にはいつも勇気に溢れていた気がします。
とても控えめで、穏やかな彼女が保育者になったのは5年前。小さな命との出会いに戸惑いながらも、愛くるしいその存在が自分の選んだ道に積極的な価値を与えてくれます。
ただ、保育の世界では色々なことが分かれば分かるほど、悩みが増えていくもの。「どうしたら、子どもの遊びがもっと豊かになるのか」「どうしたら、もっと一人ひとりの子どもと丁寧に関わることができるのか」というように、ね。そして、子どもの興味や感情が成長とともに複雑になることで、それら悩みはいっそう深まっていきます。たとえば、3歳や4歳の幼児期のお子さんを育てているかたなら、同じような年齢の子どもが、あともう19人家にいることを想像すると分かるかもしれません。しかも、なるだけ感情的にならないように、つまり怒らないように心がけながら毎日過ごすのです。
だから、子どもたちがみんな帰ってから、彼女のクラスに電気が付いたままなのは、いつものこと。この5年間ずっとそう。子どもたちに思いを伝えようと必死になるあまり涙が流れることもあったけど、勇気を持って、いつも肯定的に考える。去年より今年。今日より明日が少しでも子どもたちのためになるならば。
他から見ればそれが仕事だと言われるかもしれないけれど、保育に全精神を傾注するその姿勢は称賛に値します。もちろん、それを本人にも伝えるのですが、彼女がもっと嬉しそうにするのは自らの努力より、自分のクラスの子どもが褒められたとき。だからこそ私は思うのです。彼女が保育者の道を選んでくれて本当に良かった、と。
あれから5年。一緒に笑って、一緒に泣いて、ともに歩んできた個性豊かな20人の子どもたちと彼女のいつもの生活が、まもなく終わりを迎えようとしています。これから、新しい出会いやさまざまな体験が待っている子どもたち。だから、その記憶のなかには、長く留まらないかもしれないけれど、彼女の愛情は必ず一人ひとりの目には見えない大切な根っこの部分に残るはず。そして、彼女が子どもたちからたくさんもらった勇気は、これからも歩んでいく保育者としての土台をもっと強くしていくことでしょう。桜咲く夢見月の贈りものとして。